花束を君に

君を讃えるには足りないから

桜は舞う 春の風にのせて

 

滝沢歌舞伎

タッキーの人生をかけたデカ舞台であり、スノーマンの青春だった滝沢歌舞伎が、この春で終わることになった。

滝沢という名前を冠しているがそのタッキーは事務所を去り、愛弟子の言葉が一番しっくりくるスノーマンがこの舞台を閉じる役目を背負った。朝から晩まで働いている中、一人も欠けることなく舞台を走り抜いたスノーマンに心の底から尊敬と感謝の拍手を送りたい。お疲れ様。ほんまに偉い(それな)。

 

 

私は滝沢歌舞伎が好きだった。ここ最近はポエミーな気持ちが常に最高潮に達して、どうしようもないのでオタクらしくはてブに書きなぐろうと思う。

 

 

そもそもわたしがこんなにスノーマンを好きになったのは滝沢歌舞伎のおかげが大きい。スノーマンのオタクなら滝沢歌舞伎は好きにならざるを得ないコンテンツだ。

グループの恩師とも言うべきタッキーとの関係性が出来たのも、グループ名をもらったのも、体育会スポ根魂を叩きこまれたのも、もう荒療治に近い加入後の結束も。スノーマンの歴史にはぜんぶ滝沢歌舞伎が深く関係している。


2019年、音楽の日でスノーマンはひらりと桜と腹筋太鼓を披露した。爺さんが死んだ後に追悼としてまじで全ジャニーズ出た回でオタク視聴率が150パーセントを超えていたこともあり、あれからスノーマンのファンになったという声を何度も聞く。


スノーマンのパフォーマンスのレベルの高さ、「一目見て心が動く」という原体験は、滝沢歌舞伎だと私は思う。きっと、リアルタイムで歌舞伎を見ることがないこれからのファンにとっても、少しも手を抜かない、仕事を全力でこなすスノーマンの根幹を育てた滝沢歌舞伎のイズムは届くだろう。スノーマンのオタクをしている人間にとって、滝沢歌舞伎は直接的、間接的に繋がっていき、これからも切り離せない。

 

 

 

翔太は、滝沢歌舞伎を「学校」と言った。ひかるはこの公演が「卒業」だと言った。何もかも、本当にその通りだと思う。

 


出来るようになったこと、出来なくて泣いたこと、腹立つことも葛藤も嬉しさも喜びもぜんぶあったのがこの滝沢歌舞伎だったと思うし、

また、その過程すらも、すべて剥き出しにして舞台に立つエネルギーがなければ、板の上に立つことすら許されないのも滝沢歌舞伎だった。ジュニアの憧れの舞台であり、人が育っては卒業してく舞台であり、それを見てきたオタクにとっても、演者の人生そのものを見つめるに等しい舞台だったと思う。

 

 


さて、この卒業公演でわたしは許せないことが2つある。ひとつはタッキーの残した舞台なのにも関わらずタッキーは去っておりそれをスノーマンが締めくくらなくてはいけないということ。そしてもうひとつはチケットに偏りがありすぎて同じ人ばかり客席にいることだ。

 


ひとつ目のタッキー不在について、何があったかは知らないが、無責任だと思った。タッキーのことは好きだった。スノーマンの根っこに流れる、育ての恩師の抗えない魂論(?)を感じていたし、社長になってからも改革を進めていて、それらは十分理解できるものばかりでバッシングばかり受けながら頑張るタッキーを人知れず応援していた。

今回の舞台は、もう公演打ち切りとなりそうな所をスノーマンが上とかけあって最後だけでも泣きの1回をやらせてくれと頼み実現したと聞いた。真偽は知らんがまぁタッキーがいない中では普通打ち切りだろうから信ぴょう性は高い。

タッキー、お前の始めた物語だろうが、とわたしは思った。お前が始め、お前のメソッドで育て上げた1期生の子供がスノーマンで、それをこんな形で置いてけぼりにするな、無責任だろ、と思ったのだ。

今回の滝沢歌舞伎FINALはこれまでの歌舞伎の集大成となる思い出深い演目をたくさん盛り込んでいたが、それはタッキーがいてこそなのだ。スノーマンの瞼に残る滝沢歌舞伎には必ずタッキーがいた。タッキーを思わせる演出ばかりだった。当たり前だ、だってそうやって教えられてスノーマンは育ってきたのだから。


よそから見れば、巣立ち、ということなのかもしれない。親離れ、という言葉も浮かぶ。会見で、「連絡は取ってないが、見に来て欲しい」と話すスノーマンを見て、私は泣きそうになった。今まであんなに、散々厳しく絞り上げておいて音信不通とか何やねんと思った。何様?ではあるが、自分の広げた風呂敷を教え子が必死こいて畳んでしまってくれるのだから、見ないとかはマジで許さんと思っている。(ホンマに何様?)スノーマンは真正面から向き合ってこの舞台を終わらそうとしている。タッキーもそうして欲しい。どこかしらの映画館で見ていて欲しいし、わりと真面目に、Twitterに感想くらい書かんかいと思っている。てかスノーマンに一言くらい挨拶はして欲しい。こんなに頑張ったスノーマンに、一言お礼くらい、言え!!!!!!(ガチで何様?)

 

 

 

ふたつ目は、簡単に言えば多ステの話だ。

わたしは多ステ反対派なので、スノーマンを好きになってからは、歌舞伎の期間Twitterを開くことすら苦痛になった。

もう1京回議論されてると思うし、各々に信じる価値観があると思うのでみんなそれを信じてオタクをしたらいいと思う。そのうえで、わたしは多ステ反対派なので毎日キレ散らかす日々を送っており、それも今日で終わるかと思うと逆に清々しい気持ちにすらなる。

 


滝沢歌舞伎はかつては当日券で毎日入ることも可能な舞台だったのかもしれない。空席を作るくらいなら大好きな舞台を何度も見たいという気持ちはとても共感できる。

しかしスノーマンが主演を務めて5年経った今、プレミアチケットと化し、全国に見れない人のためのライブビューイングが設置されるレベルの舞台となってもなお、そろそろこの風向きは変わってきているのだということに気付いてない人はまだたくさんいる。

自分の信条でオタクするのは構わないが、 見れない人が出てきてしまって心苦しい、とさえ話す推しの言葉を無視して毎日毎日入り続ける人の神経がわたしは理解出来ない。言っちゃ悪いが、分母が増えてただでさえ少なくなったパイの大部分を、同じ人が堂々と占め続けている現状にうんざりしていたので、ここで舞台が終わることにこれで良かったのだろうな、という気持ちがある。

タッキーは去った。日本一売れている男達であるスノーマンにとってこの数年、2ヶ月の間に全員が同じ舞台に出演し続けられている(いまは無尽蔵体力のおかげでなんとかなっているが)ことはスケジュール的に考えて奇跡に近い。今まではグループ仕事を歌舞伎前後にまとめてこなす事で対応していた(社畜の考え方すぎ)が、来年からは遠慮なくこの期間にもどんどん仕事がまわってくるだろう。さらに、何度も舞台を見れることが通常だった頃からスノーマンの青春を追ってきたオタクだけでは無く、デビュー後のオタクや新規のオタクを抱えるいまのスノーマンにとって、滝沢歌舞伎は現実的な舞台ではなくなってしまった。ジュニア期からバックとして出続け、デビュー後も受け継いできたとはいえ、もうFC人数100万人を超えてるスノーマンがあの箱サイズで舞台をやることは運営的にも限界だった。演者も観客も過渡期を迎えていると感じるし、双方にとってこれが最良の道だったとわたしは思う。

 


 

これからも、ジャニーズ伝統舞台はどんどん時代にのまれ消滅していくのかもしれない。滝沢歌舞伎も例に漏れず、だ。

まぁ、出来ない奴を楽屋呼び出して叱る(それでストレスで体重減る)のも、怪我や熱の体を押して出演させるのも、主人公の隣に女装させた男おいてコントにするのも、裸で腹筋させるのも、体力の限界まで踊らせるのも、外部から客観的に見れば、今後淘汰されていく要素なのだろうと、冷静に考えれば、思う。

でも、私はジャニオタの人格があるので、いやいやそういうことじゃないんだ、と同時に自分に反論してしまう。

18年の積み重ねで、スノーマンの積み重ねで、この舞台の意味はゆるやかに変わっていったと思う。

当初は腹筋太鼓はここまで続く名物演目となるはずはなかったかもしれない。しかし今はもうどんなに辛かろうが声を出し汗をかく、カタルシスに近い演目になった。組曲や花鳥風月だってそうだ。スノーマンの滝沢歌舞伎は、カタルシスの舞台だった。ただ歌舞伎をやり、踊るだけではなかった。結局は、追い詰められた先の、限界を超えた姿こそ人を感動させるという舞台だった。お丸だって、ふっかさんの素晴らしい力量により、みんなから愛されて名残惜しく最後まで登場する最高キャラとなった。お丸嫌いな奴いる?いねーよな?お丸は、みんなのココ(胸トン…)に永遠(とわ)に生き続けてくから…

 


変わらないものは無い。ずっと舞台に出てたスノーマンはCDデビューで常にミリオンをたたきだすグループになった。最近ではついに紹介文で国民的アイドルと言われることも増えた。事務所の祖は世を去り、コロナがあり、タッキーも自分の夢をまた歩きだした。

 


スノーマンは、受け取ったバトンの意味を考え抜いたはずだ。むしろ常に自分たちにできることを、考えることを、やめなかった。そういうところが好きだ。毎年変わる演目の中で、出演し続けてきた自分たちが考えるこの舞台の意義、やりたいこと、今ならどう表現できるか。「それぞれの瞼に残る滝沢歌舞伎」。日々のダメだしや意見出しを通して緻密に積み重ね、見せきってくれたスノーマンに感謝しかない。時代の波に負けず、細い細い針の穴を通し、スノーマンは昔から今に繋いで、バトンを握りしめゴールしてくれた。

 


わたしはすべてを目撃できたわけではない。でも途中から見させてもらったわたしですら、今を摂取することで過去の蓄積の味を噛み締められる舞台だった。

滝沢歌舞伎のことが本当に好きだった。嘘みたいな量の花吹雪も、尻の皮が剥けて血出ても吐いてもそれこそが腹筋太鼓らしい(怖い)ところも、細やかな所作に予約のとれないバックの姿を垣間見れるところも、譲れないことのために怖い先輩の一面を見れるところも、楽屋でのくだらないじゃれ合いや差し入れジャンケンのエピソードも、ぜんぶ好きだった。本当に好きだった。終わって欲しくない。

 


ライブビューイングという英断のおかげで、3回も歌舞伎を見れたことが本当に嬉しい。自分の中でも悔いなく勇姿を見れたと胸を張れることが本当に嬉しい。大変な中で、あなたたちの青春を隣で一緒に見せてくれてありがとうと言いたい。

 

 

 

みなさん本当にお疲れ様でした。

そして、ありがとう🌸