花束を君に

君を讃えるには足りないから

ナミダの海を越えていけが好きだ

 

 

 

 

 

突然だが、わたしはSnow Manのナミダの海を越えていけという曲が大好きだ。ぜったいにいつか生で聞きたい曲のひとつである。ライブで、生で、聞きたい。次のライブ以降でセトリ落ちしてたら大暴れしかねない。それくらい大好きだ。

 

スノのオタク内でのファン投票を見たことがないけれど、普通にファン人気も高いんじゃないだろうか。単純に「好き!」という声をよく見る気がする。

 

 

 

 

本当に大好きで仕方ない曲すぎて、普段の気軽な場面では聞かないようにしてるレベルなのだが(イミフな自分ルールで笑う)、どうしてこんなに好きなのか、以下、長々と書き連ねてみた。自己満足以外の何物でもないので気軽に読んで欲しい。

 

 

 

 

 

Snow Manのこれまでの曲は、わたしの中でぜんぶ無機物のイメージだった。(いい意味で!いい意味で、ですよ!!!)(必死マン)

 

 

 

例えば、わたしのD.D.のイメージはこれで

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そしてKISSINのイメージはこんな感じ

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あとグランドールならこんな感じ。

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ほかにも、ひらりと桜はまさに、あの歌舞伎の花びらドサー!緞帳どーん!みたいなイメージだし

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おわメモだったら、ディズニーに出てくるような古い宮殿の図書館みたいなイメージがある

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これ見てもらったらわたしの捉え方が何となく分かってもらえると思うんだけど、

スノにはそれぞれのシングルのコンセプトがガッチリあったからこそ、その無機物感が超かっこよくて、そこが良かった。あとスノは「星」とか「宇宙」とかそういうのが似合うよな〜コンセプト考える時にイメージとして置いてるのかな。知らんけど。

 

例えば

D.D.で顔にプリズムみたいなライトが当たってるカット

とか、

キッシンの真っ白な部屋で無重力に傾いてるカット

とか、

グランドールの無数のレーザーに囲まれてるカット

とか、

今までのスノはなんだか「触れてはいけないもの」みたいな神々しさがあった。アンドロイドみたいな。いい意味で。

もしかしたらこういうとこが「ケーポで見たことある!」と言われる所以なのかもしれない。でもコンセプトがガチガチに固まるほど、自担を見た時に、あ、この人は地球に存在しない何かなんだ……みたいなイメージになると思う。わたしはそうなる。(そうですか)

 

 

 

でも、こういう言い方をしたら語弊があるかもしれないが、ナミダの海を越えていけを聞いた時に、わたしははじめて、スノの曲で、こんなに熱く血の通っている曲を聞いた気がした。

ほかにもどちらかというとそう思った曲はあるけれど、でもこれは圧倒的に他と異なる気がする。

 

汗をかく肌、泥だらけになる顔、とぼとぼ歩く帰り道、海風、胸に抱えるモヤモヤした気持ち。すごい身近なイメージがぽんぽん浮かんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

◼疾走感のあるメロディと歌詞

ナミダの海を越えていけ (以下省略してずっとナミヲと書く)は今まで出したシングルのかっこいいサウンドというよりはザj-popというようやメロディな気がする。

全編サイコーだし言いたいとこ上げだしたらキリがないのだが、言うとするなら、わたしは特に序盤が好きだ。

 

最初のエレキがひずむ音がだんだんとボリュームアップしていくところとか、「なにかがはじまる!」という予感がすごい。そのあとの間髪入れずの「Everybody〜」の掛け声もいい。メロディがあまりちゃんと定まってないからこそ、9人それぞれの呼び掛けにむき出しのパワーを感じる。

 

 

 

 

わたしが特に好きなのはその後。

 

 

帰り道の暗闇 遠くで誰か笑ってる
誰もいない街 朝を待つほどに長い夜だ

 

 

突然序盤から鳴っていたギターの爽やかなメロディがフェードアウトし、ここで急にリズム隊の音が強くなる。背景に鳴る「ドッドッドッドッ」というベース音がお分かり頂けるだろうか。

 

一番初めの歌詞が、「帰り道」「暗闇」「遠くで誰か」と、小さいスコープで、孤独な生活を切り取ったような描写だ。

それに合わせてメロディも少し勢いを抑えて、控えめに、しかししっかりとベースが刻まれている。

 

これほんまに、まじでめっちゃよくない?

(急な語彙力低下)

 

 

ここのパート割りもいいよね。歌ってるのはラウールとめめちゃんだが、2人の声(というか歌い方?)がとても似ていて、不思議な和音が生まれている。静かな場面描写に似合う歌い方だと思う。

 

 

その次からは3人になったり、下ハモが出てきたり、上ハモがあったり、耳から聞こえる音が増えていく。しかしこの最初のめめラウパートだけが、静寂で少し切なくて孤独で、でもベースのおかげで足どりはしっかりしてて、という印象なのだ。

2番も同じメロディがあるが(歌割り分からないけどラウと阿部ちゃんとひかるかな?ハモりもいる)ぐんと人数もハモリや背景の音も増えている。

 

確かに、ここの2番の歌詞は

 

振り向くと向かい風 戻る足跡さらってく
寂しくなるのは 独りじゃないからだ

 

なので、1番と比べるとかなり前向きな歌詞のように思える。この歌い方の違いも面白い。

 

 

 

 

わたしは別に技術に詳しいわけではまったくないけれど、それでもこの曲を歌うのにビブラートやらファルセットやら器用な技はいらないと思う。一生懸命歌うというそれだけでピッタリとイメージにはまることもあるからだ。

 

サビの「あぁ、しょっぱいぜ!」のあぁ!と歌うところとか、9人分の叫びが頭にガツン!!!ときて最高にいいと思う。

やっぱり、スノは人数が多い分、みんなが同じ歌詞を歌うそれだけでパワーがすごい。後ろで「Hey!」とか言ってるだけでもなんだかそれが30人くらいいる気がしてくる。

というか重要であろうサビの頭に「あぁ」という感嘆詞を持ってくるセンスすごない?そんな引き込み方あるんや……

 

 

 

 

ほかにも、歌詞の中に

「風」「海」「雨」「涙」「泥」「汗」「唾」「水平線」

と水関連の言葉が散りばめられているのも連想ゲームみたいで好きだ。

意図的なのかな、分からないけど、聞くたびに砂浜とか実家の海とかそういう身近な自然のことを思い出しちゃう。

 

 

 

歌割りで言うなら、だいたい翔太がフェイクや重要どころを担当するが、ナミヲに関しては他の曲に比べてあまりソロパートがない。

どちらかと言うと、ビブラートなんか無いまっすぐな9人(または複数人)の声が歌詞にのせてドカーン!ドカーン!とぶつけられてる印象だ。ハモリの声も大きめだし、合間にも細かく合いの手が挟まってたり、まさに9人いるからなせるパワープレイという感じで息つく間もないけれど、それが疾走感に繋がっているのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

◼ 歌詞の良さ

ナミヲのいいところは、誰もが自分のことを重ねて考えられる歌詞そのものにもある。

  

 

 

わたしは最初の

「帰り道の暗闇 遠くで誰か笑ってる」

部分を聞くと、いつも地方の小さな町の駅を想像する。

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ひとりぼっちの帰り道で、街頭だけがポツポツついていて、まだ開いてる居酒屋からは笑い声が聞こえて、道を歩いてる知らん酔っ払いに時々出くわして。そんなイメージをする。

 

孤独な街での夜は長い。あ〜自分って何してるんだろ、とか、わたしが今ここにいる意味ってなんなんだろ、とか余計なことを様々に考えてパンクしそうになったりする。そういう「夜」のイメージがパッと浮かぶのだ。

 

このままでいいのかな、と考えて不安になる。誰にでも、そういう漠然と焦燥感に駆られる経験はあるのではないだろうか。

上京して夢を追う人がいたり、卒業だったり、入学だったり、転職だったり、就活だったり、結婚だったり。人の人生に起こるさまざまなイベントのたびに、自問自答がある。選んだ人生これで合ってる?あの子はもうこんなことしてるんだ。わたしはほんとにこれでいいんだっけ?みたいな悩みは尽きないわけで。

 

この歌詞は、そういうウワー!とブラックアウトしそうな頭の中の自分を、無理に光に引き上げるわけでもなく、同情するでもなく、そっと隣で寄り添ってくれるような、そんな哀愁を感じる。

 

 

 

ナミヲの歌詞で特に好きなのが、

 

「じゃあ過ぎたる夢と諦めようか?」

「無理難題な夢をまた見ような」

「間違いなんて誰が笑えようか?」

「出来ないなんて誰が分かるもんか」

 

の呼びかけだ。

 

 

 

これはわたしあるあるなんだが、基本的になにごとも全然頑張れないタイプの人間なので

「もう君は十分頑張ってるよ」的な応援歌を聞くとめっちゃ自己嫌悪に陥って逆効果になる 。(←自業自得では?)(それはそう)

 

ただ、ナミヲの歌詞に関しては、聞くたびにいつもとても親近感が湧く。聞いてて重荷にならない。

 

 

個人的な話になるのだが、ここ数年自分の人生で多分今後大事になってくるんだろうなという出来事や試練が山ほど起こり、そのたびに過去の自分が思い描いていた通りにいかないことが増えて、落ち込むことが多かった。

今思い返すとあれはあれで、わりとなるようになってるし、現状にめちゃくちゃ満足出来てないわけじゃないのでそこまで落ち込むこともないんだけれど、でももし過去に戻れたら、やっぱりあれは絶対やり直すんだろうな~、みたいな。抽象的すぎてなんのこっちゃだと思うけど、みんなそういうちょっとした悩みがあって、理想とうまく折り合いをつけて生きているのではないだろうか。

 

 

きっとナミヲの歌詞は、スノの境遇にもピッタリ当てはまっていて、苦節ウン年の末のデビューや、ミリオンみたいなやっと掴んだ彼らの大きな夢に対しての当て書きのようなこの歌詞だ。

それに比べると、わたしにはそんなデカい「夢」なんてものはなくて、あるにしてもそれはそれは大したことないミジンコみたいなレベルの話なんだけど、

 

それでもやっぱりこの曲を聞くと時々、ポロ!っと泣ける時がある。なんか、この人生で出来る限りは頑張んなきゃな、という気持ちになる。

 

 

 

 

なにより、これを歌うスノがめちゃくちゃいい顔をしていた。それが本当に好きだった。

元々曲が好きだったけれど、この曲を歌う姿を見て、この曲をここぞという場所で歌うその感じが、あ〜大切な曲だよねって感じて、わたしにとっても大切な曲になったように思う。

 

 

これはいつかのブログにも書いたのだが、

スノはデビューしてからいままで右肩上がりでガンガン売れている最中で、出すものすべてが大きな数字で返ってくる(ファンがこれ言うと痛いと思いますが、まぁあえてこう書きます) から、きっと仕事のやりがいもある事だろうと思う。上しか見てない、というのは嘘じゃないだろう。

 

 

 

しかし、彼らはデビューしてからまったくファンの顔を見れていない。

 

これはわたし達ファンも同じだが、わたし達は元々偶像崇拝みたいなもんだし(?)本人たちの顔も浮かべばアホみたいな量の供給もある。ライブや舞台も「アイドルっていたんだ!」「やばい、アイドルって本当に汗かくんだ!」を実感するために会いに行くようなものである。(極論すぎる)

 

 

でも彼らからしたら自分たちの抱える仕事や返ってくる数字や世間からの認知度はどんどん大きくなっていくのに、その中の一人一人の顔はまるで想像がつかない1年だっただろう。

わたしは、それが可哀想で可哀想で仕方なかった。

だれも悪くないのに、そのことを思うと、そしてすっからかんで、ペンライトだけが光る席で、歌って踊ってくれた彼らを見ると苦しくなった。

 

 

 

だから、配信で

 

「 あぁ、眠らず夢見た水平線 」

 

と、肩を組んで笑いながら歌っている姿を見た時に堪らなかった。

すごく良かった。胸に刺さった。

 

あぁ、この人たちはこうやって、見えないファンのためにカメラに向かって笑ってくれてるんだ、頑張ってんだな、となんだかめっちゃ身近に感じてグッときた。アイドルへの「人間」を感じた瞬間だった。

 

そう思うと「ひとりじゃないって最強だ」のキャッチコピー、天才だなぁ。皮肉だけどこの一年にあった色々なこと(いいこと悪いこと含め)やコロナの状況も相まって、素晴らしいコピーへと昇華されている。ひとりじゃないって最強だ。最高だ。

 

 

 

 

話がちょっと逸れたが、こういう個人的な思い入れもあってナミヲのことが片思いばりに大好きだ。(擬人化?)

 

 

 

いつか有人のライブで歌ってくれるなら、ぜったいにぜったいにステージトロッコがいい。

 

ちょっとクール系ダンス曲終わりで、会場が暗転してたとこからライトが一気にバーー!!っとついて、ほんで最初はセンステで歌い出しがいい。みんなで手叩きたいもんね!多分そのあとトロッコ移動だと思うけど、ファンサとかせんでいいので(コラー!)、ファン無視で思いっきりメンバー同士イチャコラしながら歌ってて欲しい。あ~でもクレーンも捨て難いな。クレーンの上で、後光さしながら歌ってるのを双眼鏡で見て泣きたい。

 

 

 

 

長々と書いたが、みんなそれぞれに「ぼくわたしのナミヲとの思い出」などがあればぜひ教えてほしい。

一緒に熱くなろうや!